◇ 天界
「天界(セレスティアル・ブルー)……、か。かつてワシもそこを目指したことがある」
がっちりとした体つきで、少しのびている白髪を後ろ手で纏めている初老の男はゆっくりと目の前に居る冒険者に対して口を開いた。
この世界ではさも当たり前のように知れ渡っている、未だかつて誰も到達したことの無い楽園の名。――それが天界(セレスティアル・ブルー)だった。
時は数十年……初老の老人が一人の剣士として活躍していた時代まで遡る。
その剣士の名は『ディアス・ロードマン』。剣士として有名だった彼は、同時に傭兵家業も営んでいた。
そもそも、右へ左へと放浪する彼を雇えるのは偶然出合った町や村の人間、もしくは彼と同じく旅をするものに限られるが。
ディアスは今日も新しく辿り着いた町の酒場で、セレスティアル・ブルーの情報を集めていた。
「……ってコトだマスター。何か良い情報はねぇかな?」
いつもどおりの口調と言葉で酒場のマスターにディアスが訊ねると、マスターはまたかといったふうな顔で肩をすくめた。
「おいおい、カンベンしてくれよ。入り口の看板が読めなかったのか?」
そしてそのまま面倒事は持ち込まないでくれ。と告げる。
ここもか。そう、ディアスは咄嗟に思った。
今現在セレスティアル・ブルーに関する情報を禁止にしている酒場は少なくない。それも全て、数ヶ月前に現れた黒鎧の大剣使いのせいだった。
理由は一言で簡単に片付く。危険すぎるから。
数ヶ月前、黒鎧の騎士が酒場に入った瞬間、そこは地獄と化した。
入ったとたん彼が聞いた声、それは楽しげに酒場のマスターと会話する冒険者の声。勿論セレスティアル・ブルーに関する話題だった。
黒鎧の騎士は背にかけてあった、自分の背ほどある大剣――これも彼と同じ漆黒だった――を即座に抜いてマスターと話している冒険者を斬り捨てる。
冒険者は反応する事すら叶わず、驚きの表情と共に上半身と下半身が別れを告げる。
刹那、周りの人間たちは反応を示した。机に立てかけてある剣を抜く者、腰のホルスターから銃を抜き出す者、悲鳴を上げて店外へと逃げようとする者。
それら全てを値踏みするように見回してから、黒鎧の騎士は動いた。ダンッ! と地を大きく踏み鳴らし黒鎧が爆ぜる。
最も近くに居た銃使いが即座に首をはねられて、隣に立っている剣士が拳で吹き飛ばされる。
そして、黒鎧の騎士を抹殺せんと怒号と銃声と叫び声が酒場内で鳴り響く。
黒鎧の騎士は自らの持つ剣を自分の目の前に突き刺し、自身はそこにひざまずく。それだけで全ての銃は意味をなくした。
剣が大きすぎて、その後ろに居る騎士を狙うことすら出来ない。
ほぼ全員銃弾を撃ちつくしたのか、同時に銃声が止み、代わりに剣を構えた剣士達がここぞとばかりに飛び出した。
その後は言わずもがな。剣士達は一撃の下に切り捨てられ、銃使い達のリロードが終わるまでにそれらも肉片と化した。
……そして去り際に呟いた一言。
「二度とセレスティアル・ブルーという名前を口にするな」
それが、その場に居た生存者の証言だった。
「くだらねぇな」
受け取った酒をぐいっとあおってからディアスは一言だけ呟き、酒場を後にする。
酒場を出てしばらく歩くと、町はいやに静かだった。
深夜だから、ということもあるが、それだけではなくなにか嫌な感覚がディアスを包む。
ディアスは腰に差した剣を一度叩くように触り、感触を確認する。過去どんな時でも自らを護り、また敵を切り伏せてきた自分の確固たる自信だった。
何があっても大丈夫だ、そう確信した。
大通りを少し先に歩くと、路地の方で怒声が聞こえる。咄嗟にディアスは金のニオイを感じてそちらに走り出す。
ディアスが傭兵として礼金を受け取ったのは随分前だったので、今はあまり金が無い。なので何か恩を売れれば、などとよろしくない事を思いつつ走っていると、少し開けた場所へ出た。
目の前には、ひとめでごろつきだと判るようなやつらと……黒い鎧の男。騎士と聞いていたのだが、馬などには乗っていないようだった。
「だからよぉ、言ってんだろ? テメェのせいでロクに情報すら入ってこねぇ。消える前に情報をよこせっつってんだよ!」
ごろつきは20人近く居るだろうか。それに相対する黒鎧は全く怯むことも無く、訊いた。
「なんの情報だ」
ごろつきはイライラした様子で後ろに待機していた人間を呼ぶ。それは女性だった。
「言いたくねぇなら仕方ねぇな、先生、殺っちまって下さい!」
先生と呼ばれた女性はスッと前に歩み出ると口を開く。
「本当にコイツを殺せばセレスティアル・ブルーの情報を貰えるんだろうね」
その"単語"を聞いた瞬間、それまで全く動きの無かった黒鎧がピクリと動いた気がする。そんなことも気付かずにごろつきは媚を売るように二つ返事をする。
「……なるほど、貴様らもセレスティアル・ブルーを目指す者達か。殺さずにいる理由が無くなった」
黒鎧が背中に手をのばし、大剣を掴むとほぼ同時に目の前に突っ立っている女性に向かって走り出す。
そこまでかったるそうにしていた女性の反応は実に俊敏だった。
華麗にバックステップをしつつこちらも背中にくくりつけていた杖を取り出す。
皆が皆を戦いを見ていたので誰も気にする事は無かったが、ディアスも路地のわきからそれを眺めていた。
「ふん、普通の武器しか扱えないなんて……ザコじゃない」
女性はそう呟くと杖を大きく振った。直後、杖を包むように瑠璃色の大きな光が現れる。
「貴様は魔法使いか」
魔法使い――何らかの力を使い本来なら得ることは出来ない力を持つ者。
その力は様々だが色という制約に縛られ、自らの属性とする一色しか使用する事ができない。
魔法はもちろん誰でも覚えることが出来るわけではなく、素質がある人間にしか扱うことができないため、魔法使いという存在は稀である。
黒鎧は強い気配を察知し、剣を前面にしっかりと構えた。
「どうせ今まで戦った敵ん中にあたしみたいに強いヤツは居なかったんだろ? だから冥土の土産にでも名乗ってやるよ」
女性は余裕を持った顔で喋る。そして杖の先――光に包まれている部分を地面に強く当ててから自らの名前と、魔法の"色"を言った。
「"瑠璃(るり)"の属性、アラベラ・テイルよ」
杖は未だに倒れることなく、まさに突き刺さるように地面に突っ立っている。杖自体は宙に浮くように存在し、周りを包む光が地面に突き刺さっていた。恐らく、剣のような鋭さがその光にはあるのだろう。手の触れる部分に光は存在しなかった。
そして黒鎧が口を開く。
「名乗るとは恐れ入る。それでは某(それがし)も名乗らせて頂こう」
アラベラは全く動く気配を見せない。それは恐怖からではなく、ただ単純に相対する人間の名前ぐらいは聞いておきたいという感覚だったのだろう。未だに不敵な笑みは消えていない。だがその笑みはすぐに消えることとなる。
「"黒"の属性、ディザイアだ」
アラベラは幾分か予期していたのか、その魔法使いであるという発言に驚きこそしなかったものの表情を変化させる。本当の敵と戦うときのための表情。今までのどこか気が抜けている雰囲気は消え、それは真剣そのものだった。
ディザイアが再び駆けるのとアラベラが杖を地面から引き抜き右側へ跳ねるのは同時だった。
そして振りぬかれた黒い大剣を杖で凪ぐように受け止める。
だが、その剣が杖に触れた音は無かった。杖に触れたはずの部分は見事に裂け、ゴトン、と剣先が地面に落ちる。
「どうしたんだい? そんな剣(やすもの)使ってちゃ勝てるわけないだろ! あんたの剣なんて一瞬でバラバラにしてやるよ!」
大きな笑い声と共にアラベラは『剣』を振るう。それをディザイアは紙一重で避けてから反撃に移ろうとした。だがそれを見逃すことは無くアラベラが続けて剣を振る。
目標はディザイア本人ではなく、その黒い大剣だった。
自分を狙うだろうと思っていたディザイアの反応は遅れ、大剣は再び綺麗に切断される。それだけで、大剣は元の半分ほどの長さになってしまった。
アラベラは後ろへバックステップして再びわずかに距離を離す。その様子から、あまり自ら攻めていくタイプではないようだった。
「少しはやるようだが……その程度でセレスティアル・ブルーを目指すなど笑止」
ディザイアが地面を蹴り大剣を振るう。それも読んでいたといわんばかりにアラベラは再び大剣を斬った。
だが今回はアラベラが吹き飛ばされる。右手だけで大剣を持ち、左手で殴りかかったのだ。
鎧に殴られるのは相当のダメージだったのだろう、アラベラはよろけながら立ち上がると血の混じったつばを吐き捨てる。
「ふん、もうそんな子供だまし通用しないよ。その剣じゃもう攻撃も出来ないしね」
殆ど柄と取っ手しかない剣を見ながらアラベラは言った。そして自ら距離を詰めに走る。
アラベラが手に持つ『剣』を振り上げた瞬間、ディザイアが呟く。
「ならば――」
『剣』は振り下ろされることは無かった。代わりに驚愕の表情を貼り付けたアラベラの首と肘より先が同時に地面に落ちる。
「これならばどうだ?」
ディザイアの手には最初に見た時と同じ形状の黒い大剣があった。
その意味不明な状況に、戦闘をただ見ていただけのディアスは状況を把握するのに数秒かかった。ごろつき達もそのようで、辺りは一瞬静寂に包まれる。
やがて勝利を確信していたごろつき達の誰かが悲鳴を上げて逃げようとする。しかしそれは無意味な行動だった。
人間の頂点に立つとまで言われた魔法使いを一撃の下に屠った黒鎧の騎士は、瞬く間に輪から外れたごろつきに追いつきその心臓を捕らえる。
「て、テメェら! 持ち場を離れるんじゃねぇぞ! なにをしてでも殺してやれ!」
声は震えていたもののごろつきのリーダー格であろう男の怒声が響く。
それらが武器を構えるや否や、既にディザイアはごろつき達の輪の中に入っていた。
ほぼ瞬間的に一人、また一人と大剣の錆になってゆく。既に辺りに響くのは、恐怖に満ちた悲鳴と、鉄と鉄のぶつかり合う衝撃音だけ。
「……なんだあの化け物は」
ディアスは思わず呟いた。かろうじて動きを目で追えるものの、いざ戦うとなったら目の前に居るごろつき同様、ただ斬り捨てられるだけだということを把握する。
剣の腕だけが自慢で、それさえあればセレスティアル・ブルーを目指すことなど容易だと思っていた自分が恨めしいと共に、自分のちっぽけなプライドが粉々に崩壊させられてただただ立ち尽くしていた。
運が良かっただけなんだ。……ディアスは思う。
今まで数年間旅を続けてきたが一度たりとも魔法使いとは戦ったことも、実際に出会ったことすら無い。つまり、セレスティアル・ブルーの核心はおろか誰もが知り得る表面だけの情報だけで旅をして、自分は着実に目的に近付いていると思い込んでいただけなんだ。
何かの気配がして、ディアスは我にかえる。
目の前には、黒い鎧が大剣を持って立っていた。
動くことが出来ない。全身の筋肉は緊張して、呼吸はおろか目をそらすことも出来ない。
「……貴様も、セレスティアル・ブルーを目指す者か」
淡々とした音声が黒鎧から発せられる。ディアスは辛うじて、音としてではなく、音声として認識することが出来た。声を出すことも出来ず、ただただ首を振る。
それをしばらく眺めていたディザイアは、ディアスに背を向けて一言だけ呟いた。
「決して目指そうなどとは考えるな。生きていたければな」
ディアスは、ディザイアが見えなくなるまで立ちすくみ、腰が砕けるようにへたり込んだ。
「……情けない話だが、それ以来ワシは剣を持つことが出来なくなってしまってね」
初老の老人――ディアスは苦笑しながら話を続けた。
その老人の前に立つ、過去に見た黒鎧のような自分の背丈ほどの大剣を持つ男が口を挟む。
「それだけ聞ければ充分だ、じいさん」
口を挟んだ男は印象的な格好をしていた。
白い右目と白い髪、右腕にはぐるぐる巻きの包帯。かといって負傷しているわけではないようで、極めて普通に右腕を動かして考える動作をする。
「うーんっても、判ったのは"黒"の属性であることと名前だけね」
男の隣に立つ、戦闘的な外見とは正反対の外見を持つ女性が呟いた。
こちらの女性は黒いドレスを着ている。動作の一つ一つに優雅な印象を受け、どこかの王族と間違えられてもおかしくは無い格好。ただ、真っ赤な瞳が印象的だった。
「数十年前には有名だったようだからもっと情報は集められるだろ」
「まーた情報集めねぇ、かったるい」
男性の言葉に女性が返す。
ディアスは訊ねることは無かったが、目の前で話す男達の内容から信じざるを得なかった。……未だにディザイアと呼ばれる黒鎧がセレスティアル・ブルーを目指すものに試練を与えていることを。 |